この記事は、仕事もライティングも関係ない、ただのエッセイです。
構成も検索キーワードもSEOも関係ありません。あしからず。
だれかひとりにでも刺さればいいなと思って、自分の心の内を書いていくコーナーです。
イメージはアメブロとか、はてなブログ。
「親と子供の時間軸」
ほとんどの場合、親は「未来」を考えて子を叱る
一方で、子は「現在(いま)」に不満があるから反発する
このように、親と子供は思考の時間軸が大きく異なる。
未来と現在では意見の相違があって当然だろう。
この考え方と行動は人類の歴史、生き物の本能だとすら思う。
以上。
と終わってもいいのだが、ここはツイッターじゃない。文字制限はないようだ。
なのでここでは、そのわかりきった答えではなく、今日は親が子供の未来のためを思ってした行動が未来を左右させるのか?
これを考えてみたい。
あるお笑い芸人は著書の中で言った、
「子供にどんな経験、幸せな環境を与えてもダメな奴はダメ、悪影響のあるテレビを真似して犯罪を犯したとしても、それはテレビの影響ではなく本質的にダメな子供だっただけ。」
このような発言をしていた。
つまり、どんな育て方をしたって結果は変わらないよということだ。
言いたいことはとてもわかる。
子供もばかじゃない。多くは現実と非現実くらいの理解はできていると私も思う。
テレビのせいにするのは違う。
ただ、この考え方は間違っている。
この発言は、親としての無能さと放漫さを表している。
親は子供にチャンスを与えることはもちろん、取り返しのつかない危険(犯罪や命を落とすこと)から逃げることを経験として伝えていく使命があるからだ。
例えば、生まれたての赤ちゃんを道端に放置したら死んでしまう。
放っておいても勝手に天才になったり犯罪者になったりはしない。
親が子供に対してやるべきことは、自分の未来に多くの可能性があると見つけさせてあげること。
失敗は素晴らしいことだが、中には取り返しのつかない失敗もあるということを知らせることだ。
その上で、その事実を納得してもらう努力をしなければならない。
個人的な話をすると、親は飽き性な私に色々な経験をさせてくれた。
1ヶ月も通えなかったサッカースクール、いつもサボっていた体操教室、英語塾、そろばん、少林寺拳法。。。
すべて、継続できず今の自分には役立たない習い事ばかりだ。
ただし、この経験があったから「やってみないと向いているか向いていないかはわからないんだ」と気付いた。
「自分は好きなこと以外はやりたくない人間なんだ」と気付いたのだ。
「無知の知」という有名な言葉がある。
自分が知らないということを認知することだ。
自分が好きなこと、嫌いなこと、苦手なことはやってみないとわからない。
いま私は無性にディズニーランドに行きたいのだが、ディズニーランドの存在を知らない私の子供は行きたいなどと言わないのだ。
なぜならディズニーランドの存在を知らないからだ。
地元、北海道の遊園地が自分の楽園だと思っている子供にとって、東京という場所にもっと大きな夢の国があると知ったら絶望も大きいだろう、でも未来の選択肢は大きく広がる。
少し脱線したが、人間は生まれつきダメ人間もいれば天才もいる。
それを放置して「なるようになる」と放置することは親として失格だ。
不確定な未来、子供を信じて希望を持たせてあげることが親の使命だと考えている。
今日はそんなことをまとめてみた。
子供の未来を真剣に考えて向き合える大人が1人もでも増えることを願いながら今日も自分にできることを続けていこうと思う。
あなたはどう思うだろうか?
※最後まで読んでくれてありがとう。たまにですが、このようなストレス発散型エッセイ記事も更新しますのでよろしく。
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